日本人はなんて良い人が多いかを実感
2026年5月11日83歳の引越しⅡ
2026年7月15日3歳から38歳迄過ごした、創業の場所である東中延2丁目の27坪の土地、木造2階建て
店舗・倉庫・帳場・家族4人の居住・住込店員も一緒に住むには、手狭で営業が困難になりました。
そこで、徒歩で10分ほど離れた現在の西中延1丁目南西角地110坪の土地を探し、鉄筋3階建ての店舗兼自宅を多額の借金をして昭和55年に新築してから45年が経過しました。
借金を返済し、何回もの改装を経て現在の動線の良い、きれいで働きやすい職場になり、社員はもとより、仕入先の配送便、お来客の皆様にも利便性の良い使いやすい店舗になっております。
私は40歳から会社を見守る役割を担ってたので、いつでも何事にでも対応できる事を当たり前として過ごしてきました。大げさに言えば365日24時間営業体制だったのが当時の状況でした。
時を経て休日は増え、営業時間は短くなり、働き方改革の声が大きくなり、私の働き方も徐々に
世間並みになってました。今は急な要望で年数回商品を出したり、来客や社員への対応はありましたが、それは苦になることではなく、役立って良かったと思うと嬉しい事でも有りました。
その働き馴れ、生活し慣れた場所から突然転居せざるを得ない状況になりました。
青天の霹靂です。自分は死ぬまで本社3階の自宅で人生を終えるとばかり思って居ました。
私しにとって建物は、社屋・住居には特別のこだわりがありました。
それはこどもの頃の体験で玄関も下駄箱も無い狭い家で育ったことで、大きくなったら、下駄箱のついた玄関の有る家を作ろうと子供心に思ってました。
会社も仕事のし易い建物作ろうと、そんな思考があり今迄会社の3営業所の社屋、親や子供たちの3人の住まい造りに配慮し、土地から建物内容の選択、資金の調達返済迄全力を注いできました。
働きやすい、生活しやすい、それが最大のテーマでした。
それと共に借入金は短期間で返済する。会社も個人も短期間で返済できるように段取り資金調達をしました。
そんな事でしたが、自分の住まいは無頓着で会社の3階にいると云う事が60年経営をしてきて
当然のようにおもっていました。
それが時代が変わり、経営者が変わり、社員が変わり、わたしが当然と思うことが当然ではない時代になっていたのでした。
そんなことで退去要請が来たのです。
驚きました。何の準備も対策も心構えも出来てないのです。
本来なら、「隠居部屋を用意しましたんで、こちらに移動を願いたいのですが」と丁重に話があるのが当然のことだと思いましたが??
今の時代83歳の一人暮らしの老人に部屋を貸してくれる大家さんは居ないそうです。
それでは行き先が無く路頭に迷うところです。
品川区でも高齢者住宅はあるが、所得制限があり私は受け入れてもらえないという事でした。
いろいろ思案をしていたところ、なんという事でしょうか、神様の思し召しでしょうか、
造成中の新築マンションの物件が完成して3月17日に引き渡される事になったのです。
それも荏原中延駅後方2分弱角地に立つ14階建てマンションの東南西が窓の角部屋67㎡の部屋です。品川区の防火対策で木蜜住宅解消の地域開発の案件でした。この開発には10年と長期間にわたり関わってきたので内容は良く把握していまた。
たまたま17坪の4階建て築50年の建物を所有していたので、品川区による趣旨説明から始まり
10年間にわたり,住民として会議に参加したいたという経緯が有ります。
該当物件は賃貸で貸していたんので、出来上がったらまた賃貸で貸し出す予定で準備をしていたのです。ところが自分が会社3階を退去することになり、契約寸前で賃貸にせず、自分使用に切り替えたのです。もし契約がすんでしまえばそれでもう自分の自由にはならないので、間一髪セーフでした。
こんな経緯の物件への引っ越しが大変な労力と心労が掛かったのです。
この続は83歳の引越し2にて
